2014年09月26日
集団的自衛権容認反対で討論
9月岡山市議会が終わりました。 59の付託議案中、6件に反対しました。9月議会に出された陳情「憲法解釈変更の閣議決定の撤回を求める意見書の提出について」は不採択になりました。採択を求めたのは共産党、市民ネット、明政クラブ(一人除く)です。
委員会では自民党・無所属の会の議員が「憲法の解釈変更は何度も行われてきた」と反対した一方、公明党の反対理由は「憲法解釈の変更ではない」と言うものでした。集団的自衛権容認の閣議決定は、自民党と公明党の与党協議を経て行われたのですが、認識の中身はバラバラのようです。
私は採択を求める討論に立ちました。内容は以下の通りです。
日本共産党岡山市議団の東つよしです。委員会の陳情審議結果に反対の立場で討論させていただきます。
陳情第19号「憲法解釈変更の閣議決定の撤回を求める意見書の提出について」は採択すべきものと考え、以下理由をのべます。
まず日本国憲法前文と9条を読ませていただきます。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法を読む限り、日本に武力攻撃が発生していないのに海外に武力を行使することは認められないと考えます。
集団的自衛権について、「防衛白書」は1978年以来昨年度まで「わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず、他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法9条の下で許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考える」と明記してきました。ところが8月5日に閣議了承された本年度の「防衛白書」は、「わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは」「憲法上許容される」と文字通り180度転換しています。解釈改憲にはあたらないという説明があると聞き及んでいますが、明確に変わっているのであります。
集団的自衛権容認の閣議決定後、安倍総理はオーストラリアに行き、国会の両院総会で「日本は、安全保障の法的基盤を一新しようとしています」と演説しました。安倍総理は国民向けには「憲法の規範性をなんら変更するものではない」と、大きな変更がないかのように話しましたが、世界に向けては雄弁かつ正直に、従来の防衛政策からの大転換だと語ったわけです。「安全保障に関し、日本は長らく内向きでした」とも言った上での発言であり重大です。
また「どこそこの国が危ない」といった話を持ち出して集団的自衛権を後押しする議論がありますが、他国の武力行使から日本の国民と国土を守ることは個別的自衛権の問題です。日本を守ることと集団的自衛権容認とは全く別の問題です。
安倍総理は「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません」と述べましたが、国会で具体的に何をやらないのかを聞くと、「大規模な空爆や攻撃」「敵地に攻め込んでいくような行為」だという説明です。それ以外はやるのです。実際、「受動的、限定的なもの」だから行っても許されるケースとして機雷除去や艦船護衛をあげています。これは政府自身が国際法上、武力の行使にあたると認めております。
政府はイラク戦争やアフガニスタン戦争ではそれぞれ特措法をつくって自衛隊の海外派兵を行いました。しかし武力行使をしないことが前提で「戦闘地域に行かない」という枠をはめていました。この歯止めを安倍総理は外そうとしています。戦闘現場になったら中止するといいつつ、「任務遂行のための武器の使用はありうる」と述べています。
アフガニスタン戦争のときに、NATO諸国は集団的自衛権を発動して参戦しました。内容は米軍の後方支援でしたが、戦地での武力行使には違いがなく、戦闘で1000人を超える人が亡くなりました。イラク特措法で派遣された自衛隊員のうち1割から3割が精神に不調をきたし、帰国後28人が自殺をしています。さらなる犠牲を自衛隊の若者に強いることを認めていいのでしょうか。
安倍政権はガイドライン(日米軍事協力の指針)改定の中間報告に米軍への武器・弾薬提供や戦闘機への空中給油を可能にするなどの対米支援活動の拡大をもりこむため、日米協議を進めています。集団的自衛権容認の閣議決定をふまえて米軍との一体化をすすめることが狙いです。安倍総理は「日米同盟の関係において起こりうる事態について」武力行使の要件に当てはまる可能性が高いと述べています。今まで日本はアメリカの戦争に反対したことがありません。集団的自衛権の容認は結局、アメリカとともに海外で戦争する国づくりにつながるのです。
一方、どの世論調査でも集団的自衛権行使容認の閣議決定に5〜6割が反対。説明不足は8〜9割近くです。地方議会では、8月31日現在、反対の意見書が190議会と閣議決定後も増え続けています。岡山県内では9月議会で吉備中央町議会が反対を採択しました。また総社市長が「アンフェア」だと述べました。澎湃として広がる国民の声や地方の意見を受け止めなくていいのでしょうか。
そもそも憲法とは、主権者である国民が権力者をしばるためのものです。近代立憲主義として確立している考え方で、実際日本国憲法99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とさだめています。だから憲法の解釈も、時の権力者によって、自由勝手に変えることが許されるというものではありません。2004年、当時の小泉純一郎首相が集団的自衛権と憲法との関係についての答弁で“解釈変更が便宜的、意図的におこなわれるならば、憲法に対する国民の信頼が損なわれてしまう。憲法について見解が対立する問題は、便宜的な解釈の変更をすべきではない”と言っています。今回の閣議決定には、一般的な憲法解釈の変更とは異なる危険性があることを予見するかのような指摘であります。
それがゆえに、集団的自衛権が必要と考えている人からも、解釈改憲には反対の声が上がっています。慶応大学名誉教授で弁護士の小林節さんは、憲法を変えて集団的自衛権行使をと言っている人ですが、解釈改憲は「憲法に管理されている内閣が決めることではない」と厳しく批判しました。
戦争で平和は作れません。2003年にアメリカが攻め込んだイラクでは、今過激派組織が支配地域を広げ、米軍の装備で固めたイラク軍でも抑えられなくなっています。宗派が違っても、かつては普通に隣り合って暮らし、結婚もできていたのに、今は殺し合いが起こるほど対立が激しくなっています。米軍などが「イスラム国」への空爆を始めますが、空爆では一般市民の被害が生まれます。そして空爆の報復として市民をターゲットにするという表明がされています。平和のためと武力を用いても、双方の市民を危険にまきこむのが現実です。
北東アジアは、いくつもの紛争と緊張の火種を抱えています。解決のうえで、何よりも大切なことは、道理にたった外交交渉による解決、平和的解決に徹することです。集団的自衛権行使の容認は地域の緊張をいたずらに激化させ、「軍事には軍事」という危険な軍事的対応の悪循環に陥るだけです。
すでに東南アジアの国ぐに――ASEAN諸国が実践している「東南アジア友好協力条約」(TAC)など、「紛争の対話による解決」をめざす平和の地域共同の枠組みが広がっています。日本共産党はこの努力を北東アジアでも構築しようと北東アジア平和協力構想を提案しています。
一つ目は、域内の平和のルールを定めた北東アジア規模の「友好協力条約」を締結することです。
二つ目は、北朝鮮問題を「6カ国協議」で解決し、これを平和と安定の枠組みに発展させることです。
三つ目は、領土問題の外交的解決をめざし、紛争をエスカレートさせない行動規範を結ぶことです。
そして四つ目は、日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省が不可欠の土台となるということです。
9月20日、アジア29カ国から75政党が参加した、アジア政党国際会議の第8回総会が閉会しました。会場はスリランカのコロンボで、オブザーバーとしてラテンアメリカ・カリブ海政党会議、アフリカ政党評議会、国連など11の多国間・国際組織も加わりました。ここで採択された「コロンボ宣言」では「ASEAN加盟国による友好協力条約のような地域的な協力と統合の枠組み」がアジアの各地域に生まれていること、そうした枠組みが北東アジアなど「地域の他の部分でも形成され」、「これらが、最終的にはすべてを包摂する汎(はん)アジアレベルに適用されるというわれわれの希望を表明した」とのべています。力対力の対決でなく、戦争を起こさない腰を据えた努力にこそ未来があります。
これまで自衛隊は他国の人を一人も殺さず、一人の戦死者も出すことはありませんでした。それは、平和憲法のもとで「海外で武力行使をしてはならない」という憲法上の歯止めが働いていたからにほかなりません。
「閣議決定」は戦後日本の国の在り方を根底から覆し、日本を「殺し、殺される」国にしようというものであり、このことによって日本が失うものははかりしれません。
平和憲法は変えるのでなく、今こそ生かすときです。集団的自衛権の行使容認の閣議決定は撤回すべきと考え、陳情の採択をうったえて討論とします。
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