18、19日は臨時議会でした。議長選出が重要な役割です。
この議長選出の議会、いつもとてつもなく長くなるということですが、当事者になってみてあらためて実感です。18日は午前10時に開会し即休憩、結局午前2時に終わるのですが、議場にいたのは30分ほど。それ以外はずっと休憩です。決めたことは19日午前10時に議長選挙をするということだけでした。休憩時間に何をしているかと言うと、他会派の多数派工作ということです。
日本共産党議員団は議会の民主的運営を求める立場で、カヤの外っぽく、ときどき様子見に来る議員さんと話をするくらいでした。バッヂをつけた勢ぞろいの写真がなかったので、上の写真を撮りました。
会派の結成届けは11日が締め切りなので、多数派工作が必要でも議会が始まる前にすませて、すぐに決めればよいことです。市長や当局の人たちを遅くまでつき合わせる理由はないと思います。時間をかけるのは市民のための政策論議でしょう。
ちょうど太田議員が逮捕されたときで、「議会改革が求められる」と報道されていました。深夜まで続く議会に新人議員はどう思うかというテレビのインタビューをうけましたが、残念ながら放映されませんでした。テレビに出ていた新人議員はみな憔悴した表情で出ていました。カメラを向けられたので反射的に元気な姿を見せようとしたことがまずかったのかも知れません。
19日の議会では、議長と副議長のほか、常任委員会と特別委員会を決めました。私は常任委員会が建設委員会、特別委員会が防災・危機管理等調査特別委員会に所属することになりました。この日も終了は午前1時でした。
建設委員会では、さっそく補正予算の議論がありました。東日本大震災の被災者用に市営住宅を整備する予算です。すでに35軒用意し、6月末までに40軒増やして75軒を用意します。このこと自体に異論はなかったのですが、実績が問題になりました。今まで2世帯、今は1世帯が入っているというだけなのです。「ふるさとに住み続けたい」という人の意思を大事にすることが大事ですが、何万と言う住む所をなくした人に、岡山で再起の道があることを知らせきれているのか、ハコだけ用意してすませていないかが問われています。私は移り住む人に家具や生活用品は支給されるのか質問し、家具はないとのことだったので、市民の協力も得ながら確保することを要望しました。
委員会は本会議閉会中でも随時開かれます。公約実現にがんばります。
ブログランキングに反映されます。1日1クリックお願いします→
2011年05月19日
この記事へのトラックバック
@倉敷で用意した最初の分が埋まった筈です。
入居条件が違うのでしょうか。
あるいは、現地に拠点を設置したりボランティアが往復するバスの定期便を走らせているなどするため、知名度が違うのでしょうか。
隣接する両市が協力できないのでしょうか。
A田儀公夫の「はるかぜ日記」: 被災者へ用意した市営住宅16戸、もう一戸しか残っていない状況です。
http://tagi.typepad.jp/blog/2011/03/被災者へ用意した市営住宅16戸もう一戸しか残っていない状況です.html
B「2 戸数(平成23年4月14日 17時現在)提供戸数 35戸 既決定戸数 5戸 残り戸数 30戸」
東北地方太平洋沖地震被災者に対する市営住宅への一時入居について/倉敷市
http://www.city.kurashiki.okayama.jp/dd.aspx?itemid=42692