南ふれあいセンターでの岡山中央南(旧深柢)小学校跡地活用方針(素案)の市民説明会に参加しました。
岡山市は200メートルほど西の川崎病院の移設で旧深柢小跡地を活用したい考えです。グラウンドの用地やホールを“一時的”に避難所として開放し防災に備える、病院移設で街が活性化すると話していました。
市民からの意見を求められたので、田畑けんじさんは「中央学区は昼間人口に対し避難所の収容人数は2.6%しかない」「川崎病院は避難所として開放するというが、阪神・淡路でも東日本でも病院には長く避難できない」「借地料が出ていない。旧出石小を両備に貸したがものすごく安い地代だった。地代でも市民の意見を聞かないと」と旧深柢小跡地を防災空地として残そうと発言しました。
岡山市の「津波ハザードマップ」(→リンク)によると、M8.6の東南海・南海地震の津波は鹿田町の大学病院付近まで到達します。M9.0の東日本大震災をうけた防災計画はまだなく、どれだけの被害になるかはまだ出ていません。
私は防災計画をきちんと見直したうえで、市民の安全を守る観点から防災空地として残すことを考えてはどうかと発言しました。
旧深柢の町内会の人が「地元の意見を聞いてほしい」と発言をしました。「中央小学校に合併したが、新入生は150人もいて、通学は40分かかる。中央小の一人当たりグラウンド面積は市平均の3分の1以下。学校を戻す可能性を考えて」「済生会病院があっても奉還町商店街が賑わっているか。大学病院の春日町商店街も同じ。病院が200メートルほど商店街に近づいて活性化するでしょうか」という話には納得しました。
説明会後、後ろの人から「若いのに勝手なこと言って、いいと思っているの?」的なことを言われました。川崎病院移転推進の人のようです。どうやらモノをいってはいけない説明会だったようで。旧深柢跡地は北区のことで詳しくありませんが、説明会で市の職員が「防災の責任は市が全部やれるものではありません」と言っていたこともあり、市の防災への姿勢全般が問われる問題だと感じました。しっかり学んで、議会でもどこでもどんどんモノをいえるようにします。
昼間は西大寺のさくら苑デイサービスセンターで詩吟をしました。あまりうまくないので恐縮でしたが、みなさん楽しんでくれたようなのでよかったです。「川中島」と「題壁」をしました。白文と意解をつけた資料を作ったのですが、字が小さすぎたのが反省点です。
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2011年04月19日
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