2010年06月03日
6月6日付け日曜版よみどころ
しんぶん赤旗日曜版6月6日付の記事紹介です。
党中央の紹介ページもご覧ください(→リンク)
1、2面:鳩山首相辞任です。志位さんは「国民の期待に背き、公約を裏切った鳩山氏と民主党の数々の行為が、国民的怒りに包囲された結果」「根本にアメリカと財界にものがいえない政治がある」と指摘しました。
6面:日本共産党主催の「下請け・中小企業懇談会」では、「町工場を守れ」の思いが出し合われました。私も町工場や工務店の人と話をしますがどこも「仕事がない」「単価が叩かれる」と苦境です。日本共産党の危機打開の提案をお読みください。
7面:NPTの再検討会議が閉幕しました。日本共産党は各方面に要請行動をしましたが、「核兵器のない世界」に向けた重要な一歩前進がつくられました。草の根の反核平和運動の役割も評価されました。日々集めている署名が世界の平和につながっています。
18、19面:参院選の候補者紹介です。全員の顔写真を載せています。比例代表650万票と東京の小池あきらさんの必勝を目指し、どの選挙区でも議席を狙います。選挙区は候補者名で、比例代表は「日本共産党」と政党名で(比例の個人名でも投票できます:制度解説)
35面:政治腐敗の元凶と、企業団体献金の即時全面禁止を総選挙公約にした「みんなの党」。ただ、渡辺代表は6年で5億円を超える企業団体献金を受け取っています。談合で排除勧告、摘発を受けた企業もゾロゾロ。鳩山首相の政権投げ出しを引くまでもないですが、公約を守る立場があるのかが問われます。
36面:女優の市原悦子さんのインタビューです。「いつも自由を抑圧するものに憤っているんです」、戦争童話を朗読し「死んでいった絵本の子はぴったり、あのころの私なんです」と言っています。私は市原さんの「必殺うらごろし」の鬼気迫る演技が印象に残っています。
あくまで個人的な感想なので、他にも面白く大事な記事はたくさんあります。購読していない方はぜひ読んでください。
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日本共産党は、それが良い事か悪い事かは別にして、マルクス主義やレーニン主義から離れて、「国民改良党」に変化してきました。
ccplazaさんのような人は、それが不満で、マルクス主義のプロレタリア独裁や暴力革命などの堅持を求
めているように見えます。
もしccplazaさんのような立場に立てば、日本共産党は選挙では議席が取れなくなるでしょうが、「革命党」として労働者の先進的少数派を結集できるかもしれません。
しかし日本共産党はそのような道を決して選択しないでしょう。
そして国民改良党として体制内左翼としての道を歩み続けるのでしょう。
支持を受けられなかったひとりよがりでしかない彼らは四分五裂してしりすぼみした。
「公約にした」のは率直に評価しますが、法改正されなければ受け取り続ける狡い「みんなの党」ですか。
法改正されれば受け取れませんから当たり前の主張をしただけか(笑)
「全学連」に「郷愁」をもつ人もいるでしょうから、日本共産党は「団塊の世代」への訴えを明確にしないといけないと思います。
マルクス主義やレーニン主義(私たちは今は科学的社会主義と呼んでいます)の党派にとって“革命的”かどうかは、主張の過激さや暴力性でなく「社会主義・共産主義社会への道をいかに現実に即して見つけ、実行しているか」ではかられると思います。日本共産党は資本主義の枠内での必要な改良に力をつくしていますが、これは資本主義の悪い部分を見過ごさず、変革することに本気であるからこそです。一定の体制内改良の政策を掲げた民主党政権が財界アメリカの要求に屈してしまったことと対照的です。
マルクス・エンゲルスは晩年、選挙と多数者獲得を重視しています(参考http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=2030)。国民主権がうたわれる日本での暴力革命路線は多くの人の支持を失い、社会主義の理想を汚すことになるでしょう。
日本共産党は、本当に社会主義・共産主義をめざしているのでしょうか。
資本主義がまさに破産を迎えた今日において、日本共産党が主張するのは「大企業のいきすぎた内部留保のためこみをやめてほしい」という程度のことです。
>マルクス・エンゲルスは晩年、選挙と多数者獲得を重視しています
これは、明らかにマルクスやエンゲルスの文章から一部を切り出して教条化する、まさに「教条主義」でしょう。
マルクスやエンゲルスは、資本主義社会の科学的解剖をおこないましたが、マルクスやエンゲルスが生きていた時代は、まだ社会主義革命が現実のものとはなっていなかった時代です。第一次世界大戦以前の、マルクスやエンゲルスの「平和革命」の探求は、帝国主義時代には不適当とみなすべきでしょう。レーニンが解明したように、第一次世界大戦以後、「平和革命」の可能性はなくなったものとかんがえられます。