8月28日は、62年前にソ連が択捉島への進軍を開始した日です。ゆえに「北方領土の日」の候補にも上がっていたとも聞きます。
街で演説していると、「共産党は全千島の返還の主張をもっと大声で言わなくてはいけない」という激励を受けることがたびたびあります。領土は国の主権の重要部分です。
日本共産党の主張ですが、私も、ロシアとの領土問題解決に必要なことは、「北方領土は千島でないから返せ」という政府の立場を、「全千島の返還」に転換することが必要だと思います。「北方領土」の概念をやめることでもあります。
サンフランシスコ講和条約には、日本は千島列島に対するすべての権利を放棄するとあります。この千島列島の範囲は、吉田茂全権が受諾演説で択捉、国後を「千島南部の二島」と呼んでおり、択捉、国後も含まれていました。
この政府の千島の範囲は1956年に「択捉、国後は千島でない」と解釈を変更、北海道の一部の歯舞、色丹を加えて「北方領土」として返還を求めるようになります。しかし条約で放棄を明言した土地を勝手に解釈を変えて「返せ」と言っても、呑む国があるでしょうか。
そもそもの発端は、「領土不拡大の原則」を破ったスターリンの領土拡張です。領土交渉をするのなら、はじめに千島放棄でスターリンの無法を追認していては論が立ちません。「北方四島」の主張で得撫島以北を求めないのも同じことになります。スターリンが併合したバルト三国の分離独立のように国際世論を味方にし、ロシア国民を納得させることも望めません。
具体的には、サンフランシスコ条約の千島放棄が誤りだったということを明らかにし、当該条項の2条(C)項を、3条のように内容を無実化させるやり方があると思います。3条では沖縄、小笠原の施政権をアメリカの下におくとあり、日本復帰の道はなかったのですが、住民の運動を背景に日本に復帰しています。
サンフランシスコ条約をお膳立てしたアメリカの顔色をうかがっているのかも知れません。しかし「スターリンの無法を正せ」と全千島返還を求めない限りは、返還を求める範囲が「北方領土」のほうが狭くても、お金を積んで多少の土地を手に入れるのが関の山でしょう。
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2007年08月28日
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政治的に引いた線引きが問題なら、そもそも「領土」という言い方をすること自体がおかしい。
「千島列島」というのは、れっきとした地理用語。
北海道からカムチャツカ半島の間の島々。
(歯舞諸島などは、千島列島ではないから、サンフランシスコ条約の如何に関わらず即時返還可能。ゴルビーも「2島なら返す」と言ってたのを蹴ったのが日本政府。)
個人的には、徳川幕府と帝政ロシアが勝手に決めた線引きより、「まず、アイヌなどの先住民族やろうが…」という気もします。
(アラスカを、先住民族を無視して、アメリカとロシアで売り買いするような取引と同じ)
「北方領土」という概念そのものに無理があると思います。しかも歯舞色丹も、択捉国後と一緒に「北方領土」にしてしまっているから、北海道の一部で即時返還対象なのにそれすら返ってこないという事実。「国益を損ねる」とはこのことです。
アイヌやイヌイットの人たちには、「国」というものがなかったようですから、どう線引きをするか難しいですね。もっともそちらのほうが気が楽かもしれませんが。
アイヌにかぎらず、縄文人も自由に大地を行き来していた。
「国家権力」というものが誕生して、せまい地球に線引きをして、「自由人」を追い出す。
これが戦争の起こりなんですがね。
そうですね。
「国家権力」が、自国の主権と国民の生活と安全を守ることを第一にするととともに、同じように他国を大切にさせる世界にすることが必要だと思います。
それは、国家の終わりの始まりを意味するのかもしれませんが。